GROOVER'S BIOGRAPHY


【2000.2】


学生時代に自らがオーガナイズしていたALL GENRE EVENT、“EKO”を終了したDJ SEOが友人のFUJIKO、ANNIEを誘い、“GROOVE R ―all genre rock event―"(グルーヴ・アールと読む。グルーヴ・ロックの略)を始動させる。
『club-k』からの影響は決して否定できないが、UKロック寄りだったソレよりも、もっと僕が好きなオルタネイティヴさを強調したかった事は、 当時のフライヤー裏の”90年代の影響をモロに受けたALTERNATIVEな空間をお楽しみください”からも伺える。
“ROCK MOVEMENTの現在を一夜にして語る”というメイン・テーマは、第一回時から確立されており、 選曲センスのクオリティ、流れの基礎も今から見ても充分である。他のイヴェントにありがちな、 知識足らずのDJが、DJを始めてから急激に知識が増えるという”素人性”が極めて少なかったということもここに書いておきたい。
僕の好きな音楽性は、この第一回どころか高校時代からすでに確立されており、僕の薦める音楽の素晴らしさを認めてくれる サポーターは既に当時存在してくれていた。DJヤマシタとの出会いもこの頃で、彼は一人で来たにも関わらず朝までずっと楽しんでいたことに、 僕はとても共感を覚えた。正にここから僕とヤマシタとの関係は始まったのだ。僕のプレイタイムはDJ人生最長の4時間45分。初回集客は40人くらい。

【2000.4】


イヴェント名が現在の"GROOVER -all genre rock event-"となる。
ANNIEが抜け、YAMASHITAとCAFE BLUEのSTAFFであったSOUNOSUKEが加わる。初期のGROOVERは今から考えてもとても新鮮で MIXTUREが好きなYAMASHITAと、VERVE、RADIOHEAD、EMBRACE、OASIS・・・とBPM80台を3時代に数十分間連発するという、 初期GROOVER常連ならオナジミの“まったりタイム”を確立したSOUNOSUKE(現在、その意志はヤマシタが引き継いでいる)、そして THE BEATLES、ジャニスを初めとした60’s サイケ/ガレージ/オールディ−ズを連発するFUJIKO、とそれを上手く整えるバランス感覚を 持った(と、いうかそれを愛した)DJ SEOによって成り立っていた。

【2000.5】


DJ SEO、早くも新イヴェント“ROCK STREAM”をKOIDE、ANNIEと共に始動させるが、2回で終了する。
2回目は結局SEOとYAMASHITAと若手2人で行いまあまあ成功したが、結局何も残らなかった(僕の記憶にさえも・笑)

【2000.6】


この回からフライヤーのデザインを絵描きの顔を持つ、SOUNOSUKEが担当する。彼は他にもブルーのマンスリーも書いていたりもした。

【2000.8】


GROOVERやってたハズなんだが、全く記憶にない・・・(笑)

【2000.10】


この回に初めて特集を組んでみた。テーマはなんと“LIMP BIZKIT&RADIOHEAD”という組み合わせで大いに笑うところであるが、 これは当時まだまだはっきり分かれていた“UK ROCK”派と”MIXTURE”派との境界線に一石を投じるモノでもあった。この回でSOUNOSUKEが抜ける。

【2000.12】


この回から初めてフライヤーにARTISTの写真が使われ始める。記念すべき一発目はスマパンだったが、遊びに来たお客さんに 「スマパンがいっぱいかかると思ってきたのに、残念」と言われ。ショックを受ける。この回には唯一GROOVER常連であり、ROCK TUESDAYでは 何回かDJしてもらっているYUKIOが参加している。当時の彼はメロコアを好んで選曲していた気がする。

【2001.1】


この回には唯一、SEOが当時働いていたARON/A-1 RECORDSの店長、TAKASAKIが参加。HEAV ROCKのSHOP、 DISSIDENTのSTAFF、NAOも参加。

【2001.3】


平日ラストとなるGROOVER。20人にも満たなかった散々な集客だったが、最初から最後まで脅威的な盛り上がりを見せた一晩だった。 DJの趣向性の違いにより。この回でNAOが抜ける。GROOVERのOFFICIAL WEB SITEがOPENする。

【2001.4】


ハコをSTOMPに移し、週末にて開催!この回から特集イヴェントとしてGROOVERは歩んでいく。ちなみにWEEZER。 FUJIKOが抜けた代わりに、SAKAMOTO、KENGOが加わり、この後SEO、YAMASHITA、SAKAMOTOの3人は不動のレジデンツとなる。 同時に毎月第一月曜日に"groover's cafe"が始まる。DJはSEOとSOUNOSUKE。
当時フリーソウルの影響をモロに受けてしまったSEOの趣味によるカフェ感覚なイヴェントであったが、影響受けたのがちょいと遅いのと 人まねな選曲はやっぱり性に合わないっていう“頑固”性格のため、途中から路線変更。生バンドのライブなども取り入れる。

【2001.6】


MUSE特集。SPY MASTERの写真撮影が入るがとても小さな扱いに。

【2001.8】


FES特集が始まる。以後、毎年恒例の特集となる。

【2001.9】


ASH特集がどうしてもやりたくて決行する。この頃から常連さんが付くようになり、外国人の方も遊びに来るようになる。 “groover's cafe”のDJがSEOとYAMASHITAになる。

【2001.10】


RADIOHEAD特集でそれまで40〜50人だった集客数が100人近くまで増える。

【2001.11】


“groover's cafe”にてDJ SAKAKIが登場。一発目から丁寧なMIXをするヤツだった。

【2001.12】


夕方17時から22時までのLIVEを含めた“groover's cafe side”と、そこから朝の5時までの“GROOVER SIDE”とに分かれた “GROOVER SPECIAL!!”を開催。LIVEにはRAYMOND TEAM、FROG PILOT、JEW'S−EARが出演。
"groover's cafe"、DJ KENGO及び“GROOVER”のSTOMPでの開催はこの回でラストとなる。

【2002.1】


遂にGROOVERがCAFE BLUEにて毎月第4土曜日レギュラーとしてスタート!SUPPORT DJとしてSAKAKIが加入。 以後2年間、SEO、YAMASHITA、SAKAMOTO、SAKAKIは不動のメンバーとなる。

【2002.2】


SEO個人的に「生涯最高のDJクオリティー」と語る、NIRVANA特集を行う。それと同時に『club−K』が終了する。

【2002.5】


CLUB STOMPにWEEZERのリヴァ−ス・クオモが来店するということで、 急遽呼ばれたSEOがDJでお出迎え。だがあまりのパニックぶりと、リヴァ−スを見世物扱い するキショイ日本人と、それを心の内ではバカにしながら楽しんでいるリヴァ−スに対し、 とてもやり切れない気分に陥る。

【2002.10】


CAFE BLUE改装の為、この回に限り“ATLANTICS”で開催する。 この回からDJブースの真ん前で狂ったように踊りまくる青年をGROOVERでよく目にするようになる。

【2002.12】


CAFE BLUEのCOUNTDOWN PARTYに2:00〜6:00という大枠で出演。 この2002年は結局年間13本(カウントダウン入れると14本)という過密スケジュールを決行する。

【2003.4】


"MADCHESTER/SECOND SUMMER OF LOVE"特集に使用された写真の件で、配給会社からクレームを受け冷汗をかく。

【2003.6】


音と映像とを積極的にリンクさせた、YAMASHITAによるビョ−ク特集はその後のEVENTの方向性を明確にした。

【2003.12】


自身のイヴェント“AURORA”を本格始動させるべく、DJ SAKAKIが抜ける。

【2004.1】


“4TH ANNIVERSARY SPECIAL”第一弾として、LIVEにRAYMOND TEAM、JEW'S−EARが出演。 DJ SEOがSONYのFUSION MUSIQUE主催“BRITISH PAVILION@難波戎橋HUB”に参加。
この年から急激にGROOVER関連のイヴェントが増え出す。

【2004.2】


"4TH ANNIVERSARY SPECIAL"第二弾として、GUEST DJにJIN(ROCK DO)を迎える。 “ROCK DO”っぽい選曲ながらも“GROOVER”のお客さんの求めてた音も意識した絶妙なプレイでフロアを盛り上げた。

【2004.4】


GROOVER STAFFであるSHINPEIと共に、毎週火曜日のBAR EVENT“ROCK TUESDAY@BIGCAKE”をSEO&YAMASHITAでスタートさせる。

【2004.5】


GROOVER初のCLUB KARMA進出!!特集はRADIOHEAD特集で、歴代最高の150人近くの動員を記録する。

【2004.6】


トータル4年以上の付き合いだった、CAFE BLUEが閉店のため、ラストのGROOVERとなる。特集はPIXIES。 本当に好きなハコだったので、あの空間をライブハウスにしてしまうのはマジでもったいないと(今でも)思っている。

【2004.7】


ハコを難波CLUB ROCKETSに移す。KARMAからの依頼により、"groover's cafe"を毎週木曜日にSEO&SAKAMOTOでスタートさせる。

【2004.8】


“FUJIROCK FESTIVAL”の“PURPLE HAZE DJ BOOTH”にて、初日、2日目にDJ SEOがKARMA枠でGROOVERとして出演。 アゲアゲな選曲と絶妙なMIXで、爆発的な盛り上がりを見せる。

【2004.12】


BIG CAKEにて、“MERRY CHRISTMAS ROCK TUESDAY”を開催。プレゼント交換会を行う。 CLUB KARMAのCOUNTDOWN PARTYに"groover's cafe"として出演する。


これがGROOVERの5年間の歴史です。本当に音楽が好きなDJとお客さんが集まった素晴らしいイヴェントとしてやってこれたと思います。 集客数だけを求めた“薄い”内容よりも、“質”を求める音楽好きにこそ愛してもらえるような先進的なスタンスで、これからも変わらずやっていきたいと思います。

(GROOVER  SEO MAKOTO)